関係者インタビュー
2016.11.17

ロボコンヒストリー The 25th anniversary

ロボコン25年に寄せて

東京工業大学 名誉教授 森政弘

1981年、東京工業大学制御工学科教授だった私は、学生たちの顔に生気がないことに危機感を抱いた。そこで、物作りで精神統一ができた自分の体験を元に、学生たちを物作り三昧にひたらせることを思いつき、単一乾電池1個だけのエネルギーで人間1人を乗せて走る車を製作する競技を始めた。これは予想外の効果を現し、学生たちの顔は感動に輝いた。そしてこれが以下のようにロボコンの起源となった。この授業はその後も学科を挙げて毎年続けられて来た。

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 その後NHKが、米国はマサチューセッツ工科大学(通称MIT)で、学生たち銘銘に簡単なロボットを製作させ、格闘技を行っているという授業を取材して放映し、その感想を私に尋ねてきた。「ああいうことなら、うちの大学でもやっているよ」という私の返事に、「それならば東工大とMITと一緒になってやりませんか」ということになり、MITに掛合った。しかしMITからは、組織の関係からそのようなことの決定には時間がかるという、とりあえずの返答が来た。  創造的な番組を模索していたNHKは、1988年に全国の高等専門学校に呼びかけ、私の指導の下に、東工大と同じ乾電池車の競技を行い放映した。 この番組は好評で、翌年からは乾電池車をロボットに置き換えて毎年続けられ、今日に到っている。これが「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」(略称「高専ロボコン」)である。この高専ロボコンは年を重ねるにつれて盛んになり、与えられる課題も高度化し、その運営組織も確立され、予選を兼ねた地方大会も全国を8ブロックに分けて行われるようになり、第4回目の1991年から、全国大会は国技館で行う習わしとなった。  高専ロボコンは高専生の教育に対し、創造性開発・製作技術向上の点だけでなく、精神的な人間育成という観点からも大きなインパクトを与え、高専の歴史を飾ることになった。「高専ロボコンに参加したい」という理由で高専を受験する学生が全国的に増えたほどである。  もどって、MITからの正式返事は遅れたが、1990年から、東工大とMITとの融合混成チームで大学生の国際ロボコンが別途行われるようになった。その後参加国も増え、これが今日のIDC(International Design Contest)となった。

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ロボコン25年の歩み

1988年、全国の高等専門学校(高専)へ呼びかけ、12校が出場して第1回大会が開催された。翌年は53校の応募20校の出場と規模が拡大し、1990年第3回大会より全ての高専が出場する大会となった。1991年からは地区大会で選ばれたチームが、両国国技館で全国大会を開催する形式になり、翌1992年には、独創的で抜群のアイデアと、最も優れた技術力に対して与えられる最高の栄誉「ロボコン大賞」を設け、現在に至っている。

1990年、東京工業大学・マサチューセッツ工科大学から各10名が参加して、第1回のIDCロボコン(IDCロボットコンテスト大学国際交流大会”International Design Contest”)が、東京工業大学で開催された。

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1991年、大学ロボコン第1回大会が開催される。2002年に、ABU(アジア太平洋放送連合)ロボコン第1回大会が開催されてからは、大学ロボコンは国内の代表選考会を兼ねて行われている。

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