OB・OGの言葉
2016.11.17

僕、ロボコン歴22年です。 — 佐々木俊英

毎年フィールドで熱戦を繰り広げるロボットとチームメンバーたち。出場者と同じぐらい知力・体力・全神経を使ってフィールドに立つ人がいます。そう、審判です。

今回は2014年の大学ロボコンの審判をやった東京高専・長岡技術科学大学のOB、佐々木俊英さんの登場です。高専ロボコン、大学ロボコンに操縦者としての出場経験を持ち、学校卒業後も、審判としてフィールドに立つ”筋金入りのロボコニスト”の言葉をお楽しみください。

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まずは簡単に自己紹介を・・・

佐々木俊英
— 2014年大学ロボコン審判、東京高専、長岡技術科学大学OB
1989年   生まれる。
1992年   初めてテレビでロボコン観戦。 じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり、ロボコン。
1997年   (小3)初めて国技館でロボコン観戦。
2004年   国立東京工業高等専門学校機械工学科に入学。
       ロボコンゼミAチームに所属。
2005年   「大運動会」に<縦高無尽>の操縦者として参加。
       地区大会優勝。全国大会準優勝。
       ロボコン大賞受賞。
2006年   「ふるさと自慢特急便」に <雷門兄弟>のチームリーダー・操縦者として参加。
       全国大会出場。
2009年   東京高専を卒業して長岡技術科学大学へ編入。
       ロボコンプロジェクトに参加。
2010年   大学ロボコン「ロボ・ファラオ」に<越後一会>のチームリーダー・操縦者として参加。
2011年   高専ロボコン関東甲信越地区大会・全国大会、副審。
2012年   大学ロボコン・高専ロボコン全国大会、副審。
2013年   大学院を修了し、就職。
2014年   大学ロボコン副審。

超早熟・ロボコンとの出会い

?!ロボコン暦が3歳から始まっている・・・

ちっちゃい頃、親がロボコンを録画していて、とりあえずロボコンを見せておけば静かにしている、みたいな子どもだったらしくて。当時はインターネットもなかったので、毎年年末になるとテレビ欄を見て「今年もロボコン放送ある!」って、12月の終わりに見ていました。

小3で国技館にも行っていますね。

全国大会の観覧応募が新聞に出ているのを、親がたまたま見つけてくれたので、初めて国技館に行きました。そこからなんだかんだで毎年見に行くようになって、完全にはまちゃった感じですね(笑)

ロボット自体が面白かったんです。こんなロボットが作れるのか!と子どもながらに思って。国技館でロボコンを見てからは東急ハンズや秋葉原で売っている既製品の工作キットを買ってロボコンもどきで何か作ったりするようになりました。

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では東京高専へはロボコンをやりに?

そんな感じです。当時、東京高専のチームは優勝を目指して勝ちに行くAチームと 自由に楽しくやろう!というBチームがあって、どちらかに所属するんですが、これが大げさに言うと人生のターニングポイントになったなと思っていて。

面白いロボットを作って自由にやろう、というBチームも魅力的だったんですが、自分はAチームに入りました。勝っていくロボットっていうのが好きだったんです。学生の中で「記録よりも記憶に残るロボットを」という言葉があるんですが、記憶に残るにはユニークなロボットを作ることも大事ですが、見せる回数も大事だろうと。せっかくロボットを作ったら1回戦で負けるよりも、2回戦、3回戦と勝ち進んで何回も見てほしいですよね。それに勝ちに行くロボットを作るにしても、アイデアは考えないといけないし、面白いこともできるだろうと。

合言葉は「早く前へ!」

チームはどんな雰囲気だったんですか?

自分たちのときは、ルールとして装飾をそんなに求められていなかったので、まずは動くロボットを作り、競技が一通りできる状態に早く仕上げて、どんどん勝てるようにしていこうという感じでした。

1年生に対しても下っ端扱いではなく、わりと先輩が考えさせるような仕事を投げてくれたんです。「指示通りのことだけすればいいから」というのではなく、やる方も工夫を求められるような仕事をくれました。それに最初は部品を1個作っただけでも、自分が作った部品が大会でロボットの上に載ってるっていうだけで嬉しいもので。このロボットに関われた!っていうことが。だから1年生の時からけっこう楽しんでいました。

当時、東京高専は強かったんですか?

自分が入った1年生のときは地区大会でベスト4に入り、技術賞もとって全国大会に。自分が入学する前もそうでしたし、地区大会は突破できるね、っていうチームを先輩方が作っていました。

アイデアはみんなで出して。学年とか関係なくこのアイデアは実現できそうだね、とか話し合って。出したアイデアを絞ることもすんなりできて、そんなに時間をかけていた覚えがないんです。6月頭に中間テストがあるんですが、テストが終わり次第、6月中に1台作ってしまう感じでした。

早いですね。

ただスケジュールを紙に書いてにらめっこなんかはした覚えがなくて。とにかく早く作ろうっていう感じがチーム内にありました。

スケジュールを作らなくとも早く動けていたと。

結局・・・。例えばレポート10日までに提出、と言われると皆10日に出すじゃないですか(笑) たとえ暇でも9日の夜からやろう、みたいな。後輩を見ているとそんなスケジュールを作って、8月末までにテストラン、とか言っていると、結局ロボットができるのが8月末になるんじゃないですか。なので、早く早く! って思います。

2年生になると操縦者として全国大会に出場し、その後もずっと操縦者をやっていますね?

なんか憧れていたんです。今のロボコンと違って、当時は操縦者がロボットと一緒にフィールドを走り回っていて、その姿がかっこよかった。 1年生のときも操縦者に手をあげていたんですが、先輩の方ができるので無理だなと悟って。2年生になってもうできるかなと思って、先輩もいる中で手をあげて。9月のエントリーシートを出す頃に、誰が一番うまく操縦できるか、操縦者決定レースをやって決めるんですが、それをやっている時にロボットが壊れてしまったんです。 結局コイントスで決めることになり、それで運良く自分がやれることになって。

この時の課題、「大運動会」は はしご、平均台、ハードルを越えて、壁を登ってバトンを渡す競技でした。

「完璧でした」とか言っちゃってる・・・。けど正直地区大会も突破できると思ってなかったんです。 とか言うとみんなに怒られますが。 地区大会のときは、バトンを入れる課題が全然できない状態で、地区突破は無理かなと思っていたんですが、周りがもっと動かなくて助かりました(笑)。

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全国大会の時も、改良を重ねて、モーターを強くしよう、2つにしよう、とかやっていたら、逆に遅くなり、動きが悪くなっていき、しまいに壁も登れなくなってしまって。番組のディレクターのMさんから「東京高専に期待してるよ」と言われたんですけど、「すいません、今週の土日もまだできてないです、できてないです・・・」と言い続けることになり(笑)やることなすこと上手くいかなくて。 結局全国大会のときは、通しで練習できたのは本番の1週間前の土日だけでした。

そういうときはチームの雰囲気は?君が余計なことを言ったから・・・みたいな空気になったりするんですか?

そういうのはなかったです。いいロボットを作ろうという目的は一緒なので。うまくいかなくとも止まらずにどんどんいろんなことをやってみたので、そういう意味では回り道はしても、結果良かったっていうのはあります。

操縦者はかくあるべし

操縦の練習ができない不安などは?

不安もあったんですけど、別のロボットを動かすわけではないし、そんなに大きく動きが変わるわけでもないし、なんとかなる、みたいな雰囲気があって。あとはみんなで作ったロボットを信じて動かすっていうのが大事です。ここ壊れるんじゃない?大丈夫?って思いながらやると、やってられないので。

直前に動かなくなってしまったチームにも希望のある話ですね。

あとはできることをやるってことですかね。ロボットがそもそもできていなかったり、全く動かない場合は難しいですが、部分練習はできます。自分ははしごだけ、平均台だけ、ハードルだけ、と一部だけの練習を 廊下や教室の片隅で繰り返しました。体育館で練習しようとすると、他の部活の都合もあったり、シート敷いて、フィールド置いて、ビニールテープで線引いて、と準備だけでも時間がかかりますよね。

今年の高専ロボコンの競技フィールドも大がかりですが、坂の登りだけ、といった感じでやるのだったら、廊下や机をどかした教室でも練習できるじゃないですか。屋外はさすがに厳しいですが、頑張れば廊下にちょっと置いてとか、教室の片隅でもいっぱい練習できますよ。

なるほど。他に操縦者へアドバイスありますか?

ロボットのことを知らないと動かせないというのはあります。タイヤがロボットの前についているのか、後ろについているのか、考えてというか見たら分かるんですけど。タイヤが後ろについているということはロボットはどう曲がるのか、とか考えて。自分はそういうのを考えているのが楽しくてしょうがないんです。ロボットを見たら動かしたくなっちゃうので。審判をやっていても、正直「ちょっとコントローラー貸して!」と言いたくなるときはあります(笑)

審判は敵?

卒業後、審判をしていますが、現役のときは審判に対してどう思っていたんですか?

縄跳びを3回跳ぶ競技課題があったんですけど、自分たちは3重跳びをするロボットを作っていたんです。ただロボットは縄を勢いで回し続けているので3重跳びはできていたのに、4周目の縄をロボットが踏んだのを 失敗とみなされてしまって。試合中に「違う、違う!」と言い争っていた時間がロスになってしまい・・・

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当時は審判はテストランで初めてロボットを見る、ということや、20チームのロボットを短時間で全部覚えないといけない、といったことは知らなかったので、 この時に自分は審判大っ嫌いになってしまって(笑)「あたらないように作ってるんだもん」「違反にならないように作ってるんだから細かいけど見てよ、審判!」って思っていました。まあ、10代後半でなにかと他人のせいにしたがるお年頃だったので(笑)

高専卒業後は大学ロボコンにも参加していますね。

高専を卒業して、長岡科学技術大学に編入しました。編入すると大学3年生になるので、1回しか出場できていないですが。ただ4月に入学すると、大学ロボコンはビデオ審査が終わっている頃で、大会本番は6月なので、がっつり設計や組み立てはやっていないです。

高専ロボコンとまた進め方や文化は違うんですか?

いろんな高専からメンバーが集まっていて、みんな自分の高専のやり方というのが根強くあるので、ぶつかるんです(笑)自分のときも釧路、一関、仙台広瀬、茨城、木更津、長岡、福井、府立高専・・・と10高専ぐらいから編入した人がいたんですが、ほんとに細かいところでいちいち違う。

例えば?

最初の最初で言うと、設計の段階でそもそも図面の書き方が違ったり。できた設計図を見て「何これ?」となることがよくあります。回路のコネクタの種類をどうしよう、とか繋ぎ方がうちの高専はこうだった・・・とか、みんな出身高専ごとに拘りがあるんですよね。

すごーく細かいところで言うと両面テープとか。他高専の出身者が普通の両面テープを使おうとしていて、 東京高専はもっといい工業用の両面テープを使っていたので、それを見て「はあ?!」と。「ちゃんと工業用の使わないとだめだよ!」とか、そんなことで揉めて(笑)使ってみたら普通の両面テープでも全然いけることが分かったんですけどね。交流会で高専時代から他校生とのつきあいはあったんですけど、実際一緒にロボットを作るとなると、自分が知らない常識がいっぱい出てきて新鮮でした。

職人肌の人が集まると大変そうですね(笑)

今は長岡技大流があるみたいですが、自分のいた頃は、前の年と次の年でとても同じ学校が作ったロボットとは思えないものができていました。

今年の大学ロボコンは

大学卒業後は審判をずっとやっていますが、今年の大学ロボコンの審判はどうでしたか?

大まかな動きは分かりやすい競技でしたが、シーソーが一回一回地面にあたっているか、ポールウォークで円盤を全部触っているか、最後のジャングルジムを下から順番に触っているか、など細かいところを判定するのが大変で、こんなにしゃがんだりして審判をやったのは今回が初めてです。

ブランコは、フラッグにあたっているかどうか、けっこうぎりぎりのチームがたくさんいて大変でした。1回目にあたるとフラッグがすでに揺れているので、2回目があたっていて揺れているのか、当たっていなくても揺れているのか分からず・・・。名工大は分かりやすかったです。強いチームはけっこう審判が判断しやすいロボットを作ってくる印象があります。

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あと時に、会場の雰囲気と違う判定をしないといけなくて、そういうときは悔しいですね。違反をとった後に「今何がだめだったの?」みたいな空気になったときなんかは特に。

選手・審判、両方経験されて、今現役の学生さんたちにアドバイスはありますか?

作る段階で、 審判が判定しやすいロボットを作ってくれた方がありがたいなと思います。「理論上入っているんです」とつい、学生は言いますが、 理論上入っていたとしても、審判が見たときに入っていなければ「入っていない」 という判断をするしかない。こういうことは自分も審判をやってみるまで分かりませんでしたが。

課題クリアが明確なロボット作りをした方が得、ということですね。

あとテストランで事前にロボットの特徴を伝えてくれるとありがたいです。最近はセンサーがたくさんついているので、 「ロボットのこちら側に立たないでください」というチームも多いですが、もちろん全部はかなえられませんが、できるだけ対応したいとは思っています。

大会当日はコミュニケーションをとってほしいですね。 無視しないでください!とお願いしたい。セットの裏で「準備できた?」と聞いて 誰も返事をしてくれないとけっこう悲しくなるので(笑)できれば4人目のメンバーぐらいの気持ちで接してくれると嬉しいです。一緒に競技をやっているぐらいの気持ちで接してほしいなと。審判は敵ではないです!

審判も選手と同じぐらい大変なんですね・・・

けどロボットを見るのは楽しいです。そういう線に入りきったとか、 ちゃんと的に触れたとか、細かいところを見ないといけないんですけど、近くにロボットが来るとやっぱりロボットを見ちゃうんですよね。きちんと判定をとりつつ、内心「おお、いいモーターつけてる!」とか喜んで見ています。

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悩めるロボコニスト

長いロボコン人生ですが、今後もずっとロボコンに?

そうなんですよ、引き際が分からないんです。呼ばれたら審判でもスタッフでもなんでもやるんですけど、どうすればいいんだろう、これから(笑)2、3歳で見て国技館に行ってしまって、今25歳・・・どうしようと。現役のときはルールが出て、どんなロボットを作ろうとみんなで考えて、作って、動かして、当然うまくいかなくて、そこからまた考えて、作って、動かして、と繰り返しながら、自分たちが思い描くロボットができあがっていく過程が楽しかったんですけど、OBになった今はなんなんだろうと。

後輩のロボットを見て、こうした方がいい!と思うことがあっても言ってしまうと後輩に悪いので言えませんし。もやもやします。じゃあ他のロボコンに出ようかと思っても一人でやれるようなロボコンはないですし、学校のように作る環境もないので。割とまじめな悩みになっちゃうんですけど(笑)

(笑)。最後に、全学生にメッセージをお願いします。

うまくいっているときも、悪いループにはまったときも、やると決めたら、最後までしっかり本気でやってほしい。どんどん作って動かして、わーわー皆でそれについて話し合って。全然違う方向に走っているかもしれないし、やることなすこと裏目に出るときもありますが、一個一個やれば、結果が出せるのかどうかは分からないけど、進歩はするので。

本番は「審判は敵ではない、4人目のメンバーで」という気持ちでやると。佐々木さん、ありがとうございました。

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